3・11の約1ヶ月後、アートガーデン・コヅカで開催されたネオネイティブミーティングというイベントで描いた。元々はラビラビというバンドのレコ発パーティーとして企画されたイベントだったが、3・11が起きた事で内容が大きく変質し、作家の北山耕平さん、映画監督の大重潤一郎さんを中心に全国から呼びかけに応じた80名を越える人々が集い、原発爆発後の今をシェアリングする本当の意味でのミーティングとなった。ネオネイティブとはラビラビの造語で、先住民ではないが、彼らの様な自然と共にある価値観を持った生き方を目指す人々の事を指す。シェアリングは深夜まで及び、ラビラビの演奏と行う予定だったライブペインティングを変更し、僕なりの発言としてペインティングによってシェアリングに参加する、という形で描いた特別な思いのある絵だ。
このミーティングの後、声明文を作る作業が参加者間のメーリングリスト上で行われたが、僕自身はこの日より5年後に1枚の絵を描きそれを自らの声明とする旨を宣言している。3・11で起きた事を理解し、その体験を後世(7世代先)まで伝えるつもりならその位の時間スパンを持って世界を見つめたいし、言葉、文字、数字以外の情報伝達の必要性を感じているからだ。
その5年後まであと3年、ゆるやかに変化し続けている僕の表現は、この絵を描いた日が確かに分岐点になっている。